参考1: 校註 古事記 - 青空文庫
参考2: 現代語譯 古事記 - 青空文庫
参考3: 歴代天皇事典 - 高森明勅監修、PHP文庫

断りのない引用は参考1からのものです。


現在コロナウィルスが流行していますが、神に祈るのも結構ですが手洗いを励行するほうが現代的でしょう。

日本人全体を指して「大御宝(おおみたから)」といいます。ちなみに天皇の心を「大御心(おおみこころ)」といいます。

 この天皇の御世に「役病(えやみ)多(さは)に起り、人民(おほみたから)盡(つ)きなむとしき。ここに天皇愁歎(うれ)へたまひて、神牀(かむとこ)にましましける夜に、大物主の大神、御夢に顯はれてのりたまひしく、「こは我が御心なり。かれ意富多多泥古(おほたたねこ)をもちて、我が御前に祭らしめたまはば、神の氣起らず、國も安平(やすらか)ならむ」とのりたまひき。ここを以ちて、驛使(はゆまづかひ)を四方(よも)に班(あか)ちて、意富多多泥古(おほたたねこ)といふ人を求むる時に、河内の美努(みの)の村にその人を見得て、貢(たてまつ)りき。ここに天皇問ひたまはく、「汝(いまし)は誰が子ぞ」と問ひたまひき。答へて白さく「僕(あ)は大物主の大神、陶津耳(すゑつみみ)の命が女、活玉依毘賣(いくたまよりひめ)に娶(あ)ひて生みませる子、名は櫛御方(くしみかた)の命の子、飯肩巣見(いひがたすみ)の命の子、建甕槌(たけみかづち)の命の子、僕(やつこ)意富多多泥古(おほたたねこ)」とまをしき。

崇神天皇の時代に疫病が蔓延して民はみな死に絶えようとしていた。天皇はこれを深く憂えて神に祈りをささげたその夜に大物主の大神が夢にあらわれて宣うには、「これは我が心の顕れである。オホタタネコをもって我が御前を祭らしめれば、神の祟りはおさまり天下太平になろう」という。そこで探索人を四方にはなって、オホタタネコという人を探させると、河内(大阪河内地方)のミノの村で発見されたので彼を天皇に拝謁させた。

天皇が「そなたは誰の子か?」と問うと、「大物主の大神が、スヱツミミの命の娘、イクタマヨリヒメと結ばれて生まれた子がクシミカタの命の子、その子がイヒガタスミの命、またその子がタケミカヅチの命で、その子である私がオホタタネコであります」と答えた。

 ここに天皇いたく歡びたまひて、詔りたまはく、「天の下平ぎ、人民(おほみたから)榮えなむ」とのりたまひて、すなはち意富多多泥古の命を、神主(かむぬし)として、御諸山(みもろやま)に、意富美和(おほみわ)の大神の御前を拜(いつ)き祭りたまひき。また伊迦賀色許男(いかがしこを)の命に仰せて、天の八十平瓮(やそひらか)を作り、天つ神地(くに)つ祇(かみ)の社を定めまつりたまひき。また宇陀(うだ)の墨坂(すみさか)の神に、赤色の楯矛(たてほこ)を祭り、また大坂の神に、墨色の楯矛を祭り、また坂の御尾(みを)の神、河の瀬の神までに、悉に遺忘(おつ)ることなく幣帛(ぬさ)まつりたまひき。これに因りて役(え)の氣(け)悉(ことごと)に息(や)みて、國家(みかど)安平(やすら)ぎき。

それで天皇はたいそうお喜びなさって「これで天下が平安になり、民は富み栄えよう」と仰って、オホタタネコの命を神主として、 御諸山(奈良の三輪山のこと)に大三輪の大神(大物主の大神こと)の御前を祭らせた。またイカガシコヲの命に命じて、神饌を盛る皿を多くつくらせ、天神地祇を祭る社をお定めになった。また宇陀の墨坂の神に赤色の楯矛を祭り、大阪(参考1の注に奈良縣北葛城郡二上山の北方を越える坂。大和の中央部から西方の坂とある)の神に墨色の楯矛を祭り、また坂の尾の神や河の瀬の神にまでまんべんなく幣ををささげた。これによって疫病は鎮まり天下泰平となった。

幣というのはこういうものです。クリックすると引用元のWikipediaに飛びます。

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 この意富多多泥古(おほたたねこ)といふ人を、神の子と知れる所以(ゆゑ)は、上にいへる活玉依毘賣(いくたまよりひめ)、それ顏好かりき。ここに壯夫(をとこ)ありて、その形姿(かたち)威儀(よそほひ)時に比(たぐひ)無きが、夜半(さよなか)の時にたちまち來たり。かれ相感(め)でて共婚(まぐわひ)して、住めるほどに、いまだ幾何(いくだ)もあらねば、その美人(をとめ)姙(はら)みぬ。

このオホタタネコが神の子であると知られる所以となった説話がある。

上述のイクタマヨリヒメはとても美しい人であった。ここに比類無き美丈夫が真夜中にヒメの閨(ねや)にあらわれた。互いに見初めあって結ばれ、幾夜も過ごすうちにイクタマヨリヒメは妊った。

 ここに父母、その姙(はら)める事を怪みて、その女に問ひて曰はく、「汝(いまし)はおのづから姙(はら)めり。夫(ひこぢ)無きにいかにかも姙(はら)める」と問ひしかば、答へて曰はく、「麗(うるは)しき壯夫(をとこ)の、その名も知らぬが、夕(よ)ごとに來りて住めるほどに、おのづからに姙(はら)みぬ」といひき。ここを以ちてその父母、その人を知らむと欲(おも)ひて、その女に誨(をし)へつらくは、「赤土(はに)を床の邊(へ)に散らし、卷子紡麻(へそを)を針に貫(ぬ)きて、その衣の襴(すそ)に刺せ」と誨(をし)へき。かれ教へしが如して、旦時(あした)に見れば、針をつけたる麻(を)は、戸の鉤穴(かぎあな)より控(ひ)き通りて出で、ただ遺(のこ)れる麻(を)は、三勾(みわ)のみなりき。

ヒメの父母は娘が妊娠したことを怪訝に思って「おまえは何事もないのに妊ったようだ。夫もいないのにどうして妊ったのか」と問うと、「名も知れぬ美しい殿方が、夜ごとに来て共にすごすうちに自然と妊ったのです」と答えた。父母はその相手をどうしても知りたいと思い娘に策を授けた。すなわち「赤土を床のあたりに散らし、麻の糸を針に通し、その人の衣の裾に縫いつけるのじゃ。」

その通りにして翌朝になって見れば、麻糸は戸の鍵穴から出ていって残っていたのは三巻(みわ)だけだった。

 ここにすなはち鉤穴より出でし状を知りて、絲のまにまに尋ね行きしかば、美和山に至りて、神の社に留まりき。かれその神の御子なりとは知りぬ。かれその麻(を)の三勾(みわ)遺(のこ)れるによりて、其地(そこ)に名づけて美和(みわ)といふなり。この意富多多泥古(おほたたねこ)の命は、神(みわ)の君、鴨の君が祖なり。

さてその糸をたどっていくと三輪山の神の社に留まっていた。それで腹の子は神の御子であるとわかったのです。糸が三巻(みわ)残っていたという事からそこを三輪という。このオホタタネコの命は神(みわ)の君、鴨の君の祖である。