参考1: 校註 古事記 - 青空文庫
参考2: 現代語譯 古事記 - 青空文庫
参考3: 歴代天皇事典 - 高森明勅監修、PHP文庫


今回は引用して訳しても面白くないので参考1、2は直接リンクから読むことにして、参考3から少々引用させていただきます。

歴代天皇事典 - 高森明勅監修、PHP文庫 より

崇神天皇は、自分の後継を決めるにあたって、豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)と活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこと)の二人の皇子に夢を見るよう命じ、その内容で占うことにした。

翌朝、兄の豊城入彦命は「御諸山に登って東に向いて、八度槍を突き出し、八度刀を空に振りました」と夢の内容を報告した。また、弟の活目入彦五十狭茅尊は「御諸山に登って、縄を四方に引き渡し、粟を食おうとする雀を追い払いました」と報告した。

すると崇神天皇は、「兄は東に向いたので、東国を治めるのがよいだろう。弟は四方に心をくばったので、わが位を継ぐのがよいだろう」といった。

これでイクメイリビコイサチの尊が崇神天皇崩御の後に即位することになりました。これが垂仁天皇です。

ずいぶんと子沢山であられたということです。男王十三柱、女王三柱とあります。

その子たちの業績が述べられているのでいくつか拾ってみます。

大帶日子淤斯呂和氣(おおたらしひこおしろわけ)の命は次の景行天皇で、身長が一丈二寸、脛の長さが四尺一寸もあったというのですが、大袈裟な表現だとしても一丈は約3メートルなので、いわゆる巨人症だったのかもしれません。

印色(いにしき)の入日子(いりひこ)の命は、灌漑の池を作り、また太刀をたくさん作って石上神宮(いそのかみじんぐう)に納めたというので、行政能力が優れていたということでしょう。

石上神宮の主祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)で、これは神武東征の際に天より与えられた剣の神霊です。軍事氏族の物部氏が祭祀を行っていたということなので、武器庫として利用されていたという説も有力です。物部氏は後に蘇我氏と争うことになります。

また、布多遲(ふたぢ)の伊理(いり)毘賣の命は、後に倭建(やまとたける)の命の后となったとあります。

このあたりまでくるとだいぶ身近な話に近づいてきている感があります。