参考1: 校註 古事記 - 青空文庫
参考2: 現代語譯 古事記 - 青空文庫

断りのない引用は参考1からのものです。


「思國歌」はクニシノヒ歌。つまり故郷を思う(しのぶ)歌。

前回、ヤマトタケルの命はミヤズヒメのもとに草薙の剣を置いて伊吹山の神を退治しようと出発しました。

 ここに詔りたまひしく、「この山の神は徒手(むなで)に直(ただ)に取りてむ」とのりたまひて、その山に騰りたまふ時に、山の邊に白猪逢へり。その大きさ牛の如くなり。ここに言擧して詔りたまひしく、「この白猪になれるは、その神の使者にあらむ。今殺(と)らずとも、還らむ時に殺りて還りなむ」とのりたまひて騰りたまひき。ここに大氷雨(おほひさめ)を零(ふ)らして、倭建の命を打ち惑はしまつりき。(この白猪に化れるは、その神の使者にはあらずて、その神の正身なりしを、言擧したまへるによりて、惑はさえつるなり。)かれ還り下りまして、玉倉部(たまくらべ)の清泉(しみづ)に到りて、息ひます時に、御心やや寤(さ)めたまひき。かれその清泉(しみづ)に名づけて居寤(ゐさめ)の清泉(しみづ)といふ。

ヤマトタケルは「この山の神は素手で倒してくれようぞ」と言い放って、伊吹山を登っていくと山のほとりに白い猪に出会った。その大きさは牛ほどもあった。ヤマトタケルは大言して「この白猪は伊吹山の神の使いであろう。今殺さずとも山の神を倒して後、帰りのついでに殺してくれようぞ」と言い放ち山を登っていった。すると冷たい大雨が降りかかりヤマトタケルは意識朦朧とし、前後不覚となった。(実は白猪は神の使者ではなく伊吹山の神そのものであったので、罰当たりな言葉の報いにヤマトタケルを惑わしたのである。)どうしようもなく山を下り、タマクラベの清泉に到りしばらく息をつくと、やや正気を取り戻した。そこでその清泉を名付けてイサメの清泉という。

 其處(そこ)より發(た)たして、當藝(たぎ)の野の上に到ります時に、詔りたまはくは、「吾が心、恆は虚(そら)よ翔(かけ)り行かむと念ひつるを、今吾が足え歩かず、たぎたぎしくなりぬ」とのりたまひき。かれ其地に名づけて當藝(たぎ)といふ。其地(そこ)よりややすこし幸でますに、いたく疲れませるに因りて、御杖を衝(つ)かして、ややに歩みたまひき。かれ其地に名づけて杖衝坂(つゑつきざか)といふ。尾津の前(さき)の一つ松のもとに到りまししに、先に、御食(みをし)せし時、其地に忘らしたりし御刀(みはかし)、失せずてなほありけり。ここに御歌よみしたまひしく、

体調すぐれぬままそこを出発してタギの野に到る。ヤマトタケルは「我が心は常に空を駆けていかんと思うに、今は足が言うことをきかずタギタギしく不自由極まりないことよ」と嘆いた。そこでその地をタギと名付けた。そこから少し進むにつれ病重くなり杖をついて歩くことになってしまった。それでその地を杖つき坂という。尾津の崎(参考1に三重県の桑名とある)の一つ松のもとに着いたときに、以前ここで食事をしたとき置き忘れた佩刀が無くならずにそこに残っていたのに感動して詠んだ歌:

尾張に 直(ただ)に向へる

尾津の埼なる 一つ松、吾兄(あせ)を。

一つ松 人にありせば、

大刀佩(は)けましを 衣(きぬ)着せましを。

一つ松、吾兄を。  (歌謠番號三〇)

尾張を正面に見据える

尾津の岬になる一つ松よ

お前が人だったら

太刀も佩かせよう衣も着せようものを

一つ松よ

其地より幸でまして、三重の村に到ります時に、また詔りたまはく、「吾が足三重の勾(まがり)なして、いたく疲れたり」とのりたまひき。かれ其地に名づけて三重といふ。

そこより幸でまして、能煩野(のぼの)に到ります時に、國思(しの)はして歌よみしたまひしく、

そこから先に進んで三重の村に至ったときに、「私の足は三重にひん曲がった餅のようになってもはや進むこともできぬ。えらく疲れたことよ。」と言った。そこでこの地を三重ということになった。

さらに進んでノボノ(鈴鹿)に着いたときに、望郷の念が歌になってあらわれて:

倭(やまと)は 國のまほろば、

たたなづく 青垣、

山隱(ごも)れる 倭し 美(うるは)し。  (歌謠番號三一)

大和は比類なき国よ

青々と連なる山並

山に鎮まる美しき大和

また、歌よみしたまひしく、

さらに続けて:

命の 全(また)けむ人は、

疊薦(たたみこも) 平群(へぐり)の山の

熊白檮(くまかし)が葉を

髻華(うず)に插せ。その子。  (歌謠番號三二)

生きて帰った者は

(たたみこもはへぐりの枕詞)生駒の山の

白樫の葉を

髪飾りにせよ

この歌は思國歌(くにしのひふた)なり。また歌よみしたまひしく、

これは国をしのぶ歌である。さらに歌って:

はしけやし 吾家(わぎへ)の方よ 雲居起ち來も。  (歌謠番號三三)

愛すべき我が家のほうから雲が立ち上ってきたことよ

こは片歌なり。この時御病いと急(にはか)になりぬ。ここに御歌よみしたまひしく、

これは片歌(577の歌)である。この時、病にわかに重くなり時世の歌を詠んだ:

孃子(をとめ)の 床の邊(べ)に

吾(わ)が置きし つるぎの大刀、

その大刀はや。  (歌謠番號三四)

おとめの枕元に

吾がおいた草薙の太刀

その太刀を如何にせん

と歌ひ竟(を)へて、すなはち崩(かむあが)りたまひき。ここに驛使(はゆまづかひ)を上(たてまつ)りき。

歌い終えると直情の武人は息をひきとった。そこで急使をたてて事の次第を奏上した。