参考1: 校註 古事記 - 青空文庫
参考2: 現代語譯 古事記 - 青空文庫
参考3: 歴代天皇事典 - 高森明勅監修、PHP文庫

断りのない引用は参考1からのものです。


旧年中に終了するつもりでだいぶ時間がかかってしまいましたが、今年もぼちぼちやっていきます。

ヤマトタケルの命が西征から帰京してすぐに東征の命が下ります。

 ここに天皇、また頻きて倭建の命に、「東の方十二道の荒ぶる神、また伏はぬ人どもを、言向け和せ」と詔りたまひて、吉備の臣等が祖、名は御鉏友耳建日子(みすきともみみたけひこ)を副へて遣す時に、比比羅木の八尋矛を給ひき。かれ命を受けたまはりて、罷り行でます時に、伊勢の大御神の宮に參りて、神の朝廷を拜みたまひき。すなはちその姨倭比賣の命に白したまひしくは、「天皇既に吾を死ねと思ほせか、何ぞ、西の方の惡ぶる人どもを撃りに遣して、返りまゐ上り來し間、幾時もあらねば、軍衆をも賜はずて、今更に東の方の十二道の惡ぶる人どもを平けに遣す。これに因りて思へばなほ吾を既に死ねと思ほしめすなり」とまをして、患へ泣きて罷りたまふ時に、倭比賣の命、草薙の劒を賜ひ、また御嚢を賜ひて、「もし急の事あらば、この嚢の口を解きたまへ」と詔りたまひき。

景行天皇は続けてヤマトタケルの命に「東の十二道(注1)の荒ぶる神、まだ従わない者どもを静めてまいれ」と命じ、吉備の臣の祖、ミスキトモミミタケヒコを副えて遣わすときに、ヒイラギの長い矛(注2)を授けた。

命を受けて出立し伊勢の天照大御神の宮に参拝すると、伊勢の宮に仕えている叔母のヤマトヒメに対し「天皇は私に死ねと思われているに違いありません。何となれば、西の悪人どもの征伐から帰りて座も温まらぬうちに軍勢もくださらず東に向かえと仰せられる。この仕打ちを思えばやはり天皇は私を亡き者にしようとなさっておられるのでしょう」と吐露した。

ヤマトタケルが泣きながら出立しようとする時に、ヤマトヒメは草薙の剣と袋を授けて「危急の事あるときにはこの袋の口を開けなさい」と言った。

注1. 崇神天皇の四道将軍のところで既出、十二國に同じ。伊勢(志摩を含む)、尾張、參河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武藏、總(上總、下總、安房)、常陸、陸奧の十二國であるという。

注2. ヒイラギは葉の縁に棘があり魔物に対して威力があるとされる。

 かれ尾張の國に到りまして、尾張の國の造(みやつこ)が祖、美夜受比賣(みやずひめ)の家に入りたまひき。すなはち婚はむと思ほししかども、また還り上りなむ時に婚はむと思ほして、期(ちぎ)り定めて、東の國に幸でまして、山河の荒ぶる神又は伏はぬ人どもを、悉に平(ことむ)け和(やは)したまひき。かれここに相武(さがむ)の國に到ります時に、その國の造、詐(いつは)りて白さく、「この野の中に大きなる沼あり。この沼の中に住める神、いとちはやぶる神なり」とまをしき。ここにその神を看そなはしに、その野に入りましき。ここにその國の造、その野に火著けたり。かれ欺かえぬと知らしめして、その姨(みをば)倭比賣(やまとひめ)の命の給へる嚢(ふくろ)の口を解き開けて見たまへば、その裏(うち)に火打あり。ここにまづその御刀(みはかし)もちて、草を苅り撥(はら)ひ、その火打もちて火を打ち出で、向火(むかへび)を著けて燒き退(そ)けて、還り出でまして、その國の造どもを皆切り滅し、すなはち火著けて、燒きたまひき。かれ今に燒遣(やきづ)といふ。

尾張の国に至ると、尾張の国の造の祖ミヤズヒメの家に宿をとった。そしてミヤズヒメ一夜を共にしようと考えたが、それは帰ってからのこととして契りの約束だけをして、山河の荒ぶる神や従わぬ者どもを平定しながら東に向かった。

相武の國に至ると、その国の造は一計を案じてヤマトタケルに「この野の中に大沼があります。この沼の中にいる神こそ、恐しく荒ぶる神でございます」と言った。腕に覚えのある者、そう言われれば見ないわけにはいかない。ヤマトタケルがその野に入ると、その国の造は野に火を放った。

「しまった、これは謀られたか」と追い詰められたとき、叔母のヤマトヒメに託された袋を開けてみると中に火打が入っていた。そこで剣を抜いて四方八方の草を薙ぎ払い火打で火をつけ、火でもって火を制するの挙に出た。これを向火という。

こうして危機を脱すると、その国の造を皆切り殺し火をつけて焼いてしまった。それで今ではこの地を燒遣というのである。(静岡県焼津市という説があるが、相武の國とあるのではっきりしない。)

 そこより入り幸でまして、走水(はしりみづ)の海を渡ります時に、その渡の神、浪を興(た)てて、御船を𢌞(もとほ)して、え進み渡りまさざりき。ここにその后(きさき)名は弟橘比賣(おとたちばなひめ)の命の白したまはく、「妾、御子に易(かは)りて海に入らむ。御子は遣さえし政遂げて、覆奏(かへりごと)まをしたまはね」とまをして、海に入らむとする時に、菅疊八重(すがだたみやへ)、皮疊八重(かはだたみやへ)、絁疊八重(きぬだたみやへ)を波の上に敷きて、その上に下りましき。ここにその暴(あら)き浪おのづから伏(な)ぎて、御船え進みき。ここにその后の歌よみしたまひしく、

そこからさらに東に進んで走水の海(浦賀水道)をわたる時に、海神が波を立て船揺らいでまったく進まなくなってしまった。するとヤマトタケルの后、オトタチバナヒメは「御子に代わって私が海に入りましょう。御子は東征の目的を逹せられて都にお帰りあそばせ。」と言い、菅、皮や絹の敷物を波の上に敷いてその上に下りた。すると高波がおさまり船は進むことができた。

このとき后が詠んだ辞世の歌:

さねさし 相摸(さがむ)の小野に

燃ゆる火の 火中に立ちて、

問ひし君はも。  (歌謠番號二五)

相模野で火に囲まれたとき

燃える火中に立って

私の名を呼んでくれた貴方

 かれ七日の後に、その后の御櫛(みぐし)海邊(うみべた)に依りき。すなはちその櫛を取りて、御陵(みはか)を作りて治め置きき。

その七日後に后の櫛が海辺に漂い着いた。后のために御陵を作ってその櫛を納めたという。

 そこより入り幸でまして、悉に荒ぶる蝦夷(えみし)どもを言向け、また山河の荒ぶる神どもを平(ことむ)け和(やは)して、還り上りいでます時に、足柄(あしがら)の坂下(もと)に到りまして、御粮聞(かれひきこ)し食(め)す處に、その坂の神、白き鹿になりて來立ちき。ここにすなはちその咋(を)し遺(のこ)りの蒜(ひる)の片端もちて、待ち打ちたまへば、その目に中りて、打ち殺しつ。かれその坂に登り立ちて、三たび歎かして詔りたまひしく、「吾嬬(あづま)はや」と詔りたまひき。かれその國に名づけて阿豆麻(あづま)といふなり。

さらに進んで、荒ぶる夷を打ち、山河の荒ぶる神々を平定して帰還の途についた。

足柄の坂下に着き兵糧をつかっていると、その坂の神が白鹿となって現われた。ヤマトタケルは食べ残しの蒜(葱、にんにくなどユリ科の多年草)を掴んで白鹿を打つと、目に命中して死んでしまった。命は坂に登り立って溜息をつき、「吾嬬はや(わが妻よ)」と嘆いた。それでその国をアヅマという。

 すなはちその國より越えて、甲斐に出でて、酒折(さかをり)の宮にまします時に歌よみしたまひしく、

そのアヅマの国を越えて甲斐の国に出て、酒折(山梨縣西山梨郡)の宮にいる時に詠んだ歌:

新治(にひばり) 筑波(つくは)を過ぎて、幾夜か宿(ね)つる。  (歌謠番號二六)

新治、筑波を経て幾夜過ぎたことか

 ここにその御火燒(みひきたき)の老人(おきな)、御歌に續ぎて歌よみして曰ひしく、

ここに火の番をする翁がいて、ヤマトタケルの歌の続きを詠んだ:

かがなべて 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を。  (歌謠番號二七)

日を重ねて、夜は九夜、明くれば十日

と歌ひき。ここを以ちてその老人を譽めて、すなはち東(あづま)の國の造(みやつこ)を給ひき。

ヤマトタケルこの歌を愛でて、翁を東の国の造に任じたという。

 その國より科野(しなの)の國に越えまして、科野の坂の神を言向けて、尾張の國に還り來まして、先の日に期(ちぎ)りおかしし美夜受比賣の(みやずひめ)もとに入りましき。ここに大御食(おほみけ)獻る時に、その美夜受比賣、大御酒盞(さかづき)を捧げて獻りき。ここに美夜受比賣、その襲(おすひ)の襴(すそ)に月經(さはりのもの)著きたり。かれその月經を見そなはして、御歌よみしたまひしく、

この国から科野の國(信濃)に入り、さらに科野を越えて美濃へ入る坂で荒ぶる神を平げた。そして尾張の国に帰還するとさっそく先に契りおいたミヤズヒメを訪う。饗宴となりミヤズヒメが大杯を捧げて奉るとき衣の裾に月経の血が付いていた。それを見たヤマトタケルは歌を詠んだ:

ひさかたの 天の香山

利鎌に さ渡る鵠、

弱細 手弱腕を

枕かむとは 吾はすれど、

さ寢むとは 吾は思へど、

汝が著せる 襲の襴に

月立ちにけり。  (歌謠番號二八)

はるかなる 天の香具山

鎌のように か細い白鳥の首

細く弱々しい そなたの腕を

枕にしようと 思うけれども

ともに寝ようと 思うけれども

そなたの衣の裾に 月が立っていることよ

 ここに美夜受比賣、御歌に答へて歌よみして曰ひしく、

それに答えてミヤズヒメは歌を詠んだ:

高光る 日の御子

やすみしし 吾が大君、

あら玉の 年が來經れば、

あら玉の 月は來經往く。

うべなうべな 君待ちがたに、

吾が著せる 襲の裾に

月立たなむよ。  (歌謠番號二九)

天高く光輝く 日の御子様

天が下 しろしめす 我が大君

年が過ぎ去れば 月も巡ります

あまりにも 大君を 待ちわびて

わたしの衣にも 月も立とうもの

 かれここに御合ひしたまひて、その御刀の草薙の劒を、その美夜受比賣のもとに置きて、伊服岐の山の神を取りに幸でましき。

こうして二人は夫婦の契りをし、ヤマトタケルは佩刀の草薙の剣をミヤズヒメに預け、伊吹山の神を平げに出立した。

注:これから後、草薙の剣は尾張の国に留まることになる。