参考1: 校註 古事記 - 青空文庫
参考2: 現代語譯 古事記 - 青空文庫
参考3: 歴代天皇事典 - 高森明勅監修、PHP文庫

断りのない引用は参考1からのものです。


今回のサブタイトルは「タギシミミの命の変」です。

かれ天皇崩りまして後に、その庶兄當藝志美美の命、その嫡后伊須氣余理比賣に娶へる時に、その三柱の弟たちを殺せむとして、謀るほどに、その御祖伊須氣余理比賣、患苦(うれ)へまして、歌もちてその御子たちに知らしめむとして歌よみしたまひしく、

さて神武天皇が崩御された後に、(イスケヨリヒメが産んだ)三兄弟の異母兄タギシミミの命はイスケヨリヒメを我が物にしようと企み、邪魔者の三兄弟を消そうと考えた。(コメント、オイディプス王をチラっと想起するところかもしれない)

イスケヨリヒメは企みに気付き心配して、歌を詠んで子たちに伝えようとした、

狹井河よ 雲起ちわたり
畝火山 木の葉さやぎぬ。
風吹かむとす。  (歌謠番號二一)

サイ河に雲が立ちわたり

畝火山の木の葉がザワザワ言っている

風雲急を告げています

 また歌よみしたまひしく

さらに歌を詠んで

畝火山 晝は雲とゐ、
夕されば 風吹かむとぞ
木の葉さやげる。  (歌謠番號二二)

畝火山は昼は静かに雲に隠れ

夜になれば風が荒れるでしょう

木の葉が告げていますよ

 ここにその御子たち聞き知りて、驚きて當藝志美美を殺せむとしたまふ時に、神沼河耳の命、その兄神八井耳の命にまをしたまはく、「なね汝が命、兵を持ちて入りて、當藝志美美を殺せたまへ」とまをしたまひき。かれ兵を持ちて、入りて殺せむとする時に、手足わななきてえ殺せたまはず。かれここにその弟神沼河耳の命、その兄の持てる兵を乞ひ取りて、入りて當藝志美美を殺せたまひき。かれまたその御名をたたへて、建沼河耳の命とまをす。

三兄弟はこれを聞き驚いてタギシミミの命を始末しようとした時に、カムヌナカハミミの命が兄のカムヤヰミミの命に「兄者が剣をとって踏み込んでタギシミミを殺したまえ」と言った。しかしカムヤヰミミの命は剣をとって踏み込もうとしたときに手足が震えて断念してしまった。そこでカムヌナカハミミの命が兄の剣をとって踏み込みタギシミミを成敗した。その武勇を称えてカムヌナカハミミの命のことをタケヌナカハミミの命と尊称する。

(コメント) 建(タケ)という字(音)は「勇猛な」という意味を表す

 ここに神八井耳の命、弟建沼河耳の命に讓りてまをしたまはく、「吾は仇をえ殺せず、汝が命は既にえ殺せたまひぬ。かれ吾は兄なれども、上とあるべからず。ここを以ちて汝が命、上とまして、天の下治らしめせ。僕は汝が命を扶けて、忌人(いはひびと)となりて仕へまつらむ」とまをしたまひき。かれその日子八井の命は、茨田の連、手島の連が祖。神八井耳の命は、意富の臣四、小子部の連、坂合部の連、火の君、大分の君、阿蘇の君、筑紫の三家の連、雀部の臣、雀部の造、小長谷の造、都祁の直、伊余の國の造、科野の國の造、道の奧の石城の國の造、常道の仲の國の造、長狹の國の造、伊勢の船木の直、尾張の丹波の臣、島田の臣等が祖なり。神沼河耳の命は天の下治らしめしき。

カムヤヰミミの命は、弟のタケヌナカハミミの命にへりくだって「私は仇を討つことができなかったが、そなたは見事にやり遂げた。兄であってもそなたの上に立つことはできない。これからはそなたが天皇となって天下を治めよ。私はそなたを補佐して祭祀を行うこととしよう」と言った。

そしてヒコヤヰの命、カムヤヰミミの命は諸名家の祖となり、カムヌナカワミミの命は天皇として天下を治めた(綏靖天皇)。

 およそこの神倭伊波禮毘古の天皇、御年一百三十七歳、御陵は畝火山の北の方白檮の尾の上にあり。

ところで神武天皇は137歳でお隠れになり、御陵は畝火山の北の方のカシの尾の上にある。神武天皇陵 - かしはら探訪ナビ

(コメント) 137歳とはあまりにも長寿ではないかと最初は誰もが思うのですが、「二倍年歴法」という考え方があるそうでそれだと68歳ということになります。参考として年と歳 - ねずさんのひとりごとを挙げておきます。とはいえこれも一つの説にすぎず、現代人の人知でどこまで読み解けるものなのかはわかりません。