参考1: 校註 古事記 - 青空文庫
参考2: 現代語譯 古事記 - 青空文庫
参考3: ねずさんと語る古事記・弐 (青林堂ビジュアル)

断りのない引用は参考1からのものです。


今回は有名な因幡(いなば)の白兎の話。ただし本文には稲羽とあり因幡という証拠はないようで出雲に対する地理上の関係から伝統的に因幡とされてきたようです。

 かれこの大國主の神の兄弟(はらから)八十(やそ)神ましき。然れどもみな國は大國主の神に避さりまつりき。避りし所以(ゆゑ)は、その八十神おのもおのも稻羽(いなば)の八上(やかみ)比賣を婚(よば)はむとする心ありて、共に稻羽に行きし時に、大穴牟遲(おほあなむぢ)の神に袋を負せ、從者(ともびと)として率ゐて往きき。ここに氣多(けた)の前(さき)に到りし時に、裸(あかはだ)なる菟(うさぎ)伏せり。ここに八十神その菟に謂ひて云はく、「汝(いまし)爲(せ)まくは、この海鹽(うしほ)を浴み、風の吹くに當りて、高山の尾の上に伏せ」といひき。かれその菟、八十神の教のまにまにして伏しつ。

大国主の神には八十神(やそがみ、たくさんの兄弟)がいたが、国を大国主の神に譲ってしまった。その理由は稲羽の八上比賣に求婚しようということであった。それで八十神が稲羽に行くときにオオナムチ(大国主の若いころの名前)の神に荷物を背負わせ従者として連れていった。気多の岬に着くと裸の菟が伏せっていた。八十神はその菟に「お前がすべきことは、海水を浴びて風にあたり、高山の尾の上に寝ているとよい」といった。それで菟はその通りにした。

ここにその鹽の乾くまにまに、その身の皮悉に風に吹き拆(さ)かえき。かれ痛みて泣き伏せれば、最後(いやはて)に來ましし大穴牟遲の神、その菟を見て、「何とかも汝が泣き伏せる」とのりたまひしに、菟答へて言さく「僕(あれ)、淤岐(おき)の島にありて、この地(くに)に度らまくほりすれども、度らむ因(よし)なかりしかば、海の鰐を欺きて言はく、吾(われ)と汝(いまし)と競ひて族(やから)の多き少きを計らむ。かれ汝はその族のありの悉(ことごと)率(ゐ)て來て、この島より氣多(けた)の前(さき)まで、みな列(な)み伏し度れ。ここに吾その上を蹈みて走りつつ讀み度らむ。ここに吾が族といづれか多きといふことを知らむと、かく言ひしかば、欺かえて列(な)み伏せる時に、吾その上を蹈みて讀み度り來て、今地(つち)に下りむとする時に、吾、汝(いまし)は我に欺かえつと言ひ畢(をは)れば、すなはち最端(いやはて)に伏せる鰐、我(あれ)を捕へて、悉に我が衣服(きもの)を剥ぎき。これに因りて泣き患へしかば、先だちて行でましし八十神の命もちて誨(をし)へたまはく、海鹽(うしほ)を浴みて、風に當りて伏せとのりたまひき。かれ教のごとせしかば、我(あ)が身悉に傷(そこな)はえつ」とまをしき。

塩が乾くにつれて皮膚がヒリヒリしてきた。痛くて泣いていると後からやってきたオオナムチの神は菟を見て「なぜ泣いているのか」と問うたところ菟は「自分は淤岐の島からこの国に渡ろうと思ったが、渡る方法がなかったのでワニを騙そうとして、自分とお前の種族の数を競うことにしよう。お前の種族を全部連れてきて、この島から氣多の岬まで並べてくれ。そうすれば自分がその上を走りながら数えようと言いました。そして渡ってきた最後のところで「お前は騙されたんだよ」と言ったところ最後に並んでいたワニが自分を掴まえて衣服(毛や皮と思われる)を全部剥いでしまったのです。これに困って泣き患っていたところ八十神がやってきて「海水を浴びて風に当たって寝ていろ」と教わったので、その通りにしたらさらに酷いことになってしまったのです。

ここに大穴牟遲の神、その菟に教へてのりたまはく、「今急(と)くこの水門(みなと)に往きて、水もちて汝が身を洗ひて、すなはちその水門の蒲(かま)の黄(はな)を取りて、敷き散して、その上に輾(こ)い轉(まろ)びなば、汝が身本の膚(はだ)のごと、かならず差(い)えなむ」とのりたまひき。かれ教のごとせしかば、その身本の如くになりき。こは稻羽(いなば)の素菟(しろうさぎ)といふものなり。今には菟神といふ。かれその菟、大穴牟遲の神に白さく、「この八十神は、かならず八上(やがみ)比賣を得じ。袋を負ひたまへども、汝が命ぞ獲たまはむ」とまをしき。

 ここに八上(やがみ)比賣、八十神に答へて言はく、「吾は汝たちの言を聞かじ、大穴牟遲の神に嫁(あ)はむ」といひき。

オオナムチの神は菟に「急いで河口に行って真水で体を洗い、河口に生えている蒲の花粉を敷き散らしてその上を転がれば元の肌のように治るだろう」と教えた。菟がその通りにすると元通りになった。これを稻羽の素菟(しろうさぎ)という。今では菟神といわれている。菟はオオナムチの神に「八十神は八上比賣をお嫁に貰うことはできない。今は使い走りの荷物持ちではあるけれど、あなたこそ貰うことになるでしょう」と言った。

先に着いた八十神が八上比賣に求婚したところ、八上比賣は「私はあなた達の要求は聞きません。オオナムチの神に嫁ぎます」と答えた。


鰐というのは古くからワニザメのこととされてきたようですが、1964年(昭和39年)に大阪で鰐の化石が発掘されたそうです。マチカネワニ

参考3には

… この時代の西日本一帯は熱帯ですから、そこにワニが生息していたとしても、なんら不思議はありません。ですからワニは、サメではなく本当にワニだった可能性も実はあるのです。

とある。マチカネワニは30–50万年くらい前の化石ということですが、参考3には縄文海進の時代(約6000年前)の可能性について触れられている。ただ上の参考リンクによればマチカネワニの生息環境は温暖湿潤だったようです。

もう一つ、蒲の花というのを見たことがなかったのでガマってどんな植物?が参考になりました。食べ物のフランクフルトのような花で花粉には止血や擦り傷に効果があるとされるようです。また蒲鉾(かまぼこ)の語源にもなったそうです。