今回は番外編ですが気になったので少しだけ触れておきます。

天地のはじめでは伊邪那岐、伊邪那美は「神」であった。一方、島々の生成では「命」になっている。

使いわけているからには意味がありそうである。

神 (神道) - Wikipedia

「ミコト」の語源は「御事」とする説と「御言」とする説とがある。後者は命令のことで、何かの命令を受けた神につけられるものである。例えばイザナギ・イザナミは、現れた時の神号は「神」である。別天津神より「国を固めよ」との命令を受けてから「命」に神号が変わっている。その他、『古事記』では特定の神格についてはそれぞれ神(かみ)なのか命(みこと)なのか決まっている場合がほとんどで、きっちり使い分けされているが、『日本書紀』では全て「ミコト」で統一した上で、特に貴い神に「尊」、それ以外の神に「命」の字を用いている。

特に貴い神には大神(おおかみ)・大御神(おおみかみ)の神号がつけられる。また、後の時代には明神(みょうじん)、権現(ごんげん)などの神号も表れた。

その他ネットで見るかぎり霊的存在としての「神」と働き(体)としての「命」という違いがあるようで、神のほうが命よりも上位とされるようである。「霊」は「体」よりも上位ということだと思われる。

ミコトを「ミ」と「コト」にわけると「ミ」は御、身、「コト」は事や言、などになるので上の解釈のようになるとのこと。日本語というのは一文字、二文字の「音」に多くの意味があるので意味が重複している。普段はあまり意識しないことである。

天地のはじめのところは簡単にまとめただけであったが、これらの神々の名前そのものにも意味があるようでそれを理解するのは大変である。古事記は深く読もうとすると神道や言霊などに関連がでてくる。

とはいえ深入りすると収拾がつかなくなりそうなので将来の課題として今回はここまでとします。

次回は伊邪那岐、伊邪那美の神生み。