参考1: 校註 古事記 - 青空文庫
参考2: 現代語譯 古事記 - 青空文庫

今回から参考文献に以下を加えます。令和になったので版が変わっているかもしれませんが私が持っているものは第1版です。

参考3: 歴代天皇事典 - 高森明勅監修、PHP文庫

断りのない引用は参考1からのものです。


前回で東征が終わりカムヤマトイワレビコの命が初代天皇に即位して、カムヤマトイワレビコ・スメラミコト(天皇)となりました。スメラミコトは「皇尊」と書くこともあります。また始馭天下之天皇(ハツクニシラス・スメラミコト)とも呼ばれます。のちの崇神天皇もハツクニシラス・スメラミコトと呼ばれますが漢字が違います。(参考3)

神武天皇が後世の諡(おくりな)であることは前回書きましたが、以後は文字数の節約のために神武天皇と表記します。

 かれ日向にましましし時に、阿多(あた)の小椅(をばし)の君が妹、名は阿比良(あひら)比賣に娶ひて、生みませる子、多藝志美美(たぎしみみ)の命、次に岐須美美(きすみみ)の命、二柱ませり。然れども更に、大后(おほきさき)とせむ美人(をとめ)を求(ま)ぎたまふ時に、大久米の命まをさく、「ここに媛女(をとめ)あり。こを神の御子なりといふ。それ神の御子といふ所以(ゆゑ)は、三島の湟咋(みぞくひ)が女、名は勢夜陀多良(せやだたら)比賣、それ容姿(かほ)麗(よ)かりければ、美和の大物主の神、見感(め)でて、その美人の大便(くそ)まる時に、丹塗(にぬり)矢になりて、その大便まる溝より、流れ下りて、その美人の富登(ほと)を突きき。ここにその美人驚きて、立ち走りいすすぎき。すなはちその矢を持ち來て、床の邊(へ)に置きしかば、忽(たちまち)に麗しき壯夫(をとこ)に成りぬ。すなはちその美人に娶ひて生める子、名は富登多多良伊須須岐比賣(ほとたたらいすすきひめ)の命、またの名は比賣多多良伊須氣余理比賣(ひめたたらいすけよりひめ)といふ。(こはその富登といふ事を惡(にく)みて、後に改へつる名なり。)かれここを以ちて神の御子とはいふ」とまをしき。

神武天皇がかつて日向にいたときに阿多(あた)の小椅(をばし)の君の妹アイラヒメと結ばれてタギシミミの命、キスミミの命という二柱の子を授かったが、橿原宮で即位した今、天皇の后としてふさわしい乙女を求めた。ときに大久米の命が言うには

「ここに神の御子であるという乙女がおります。その所以は、三島のミゾクイの娘で名をセヤダタラヒメという乙女がおりまして、その眉目の良さを三輪山の大物主の神が見初め、彼女が用を足すときに朱塗りの矢に化け、便を流す溝から流れてきて彼女の陰部を突いたのです。彼女が驚き慌てたのは言うまでもありませんが、どうにかその矢を取り床のはしに置いたところたちまちのうちに美しい大物主の神の姿に変わってしまいました。この大物主の神と乙女が結ばれて生まれた子が、ホトタタライススキヒメの命、またの名をヒメタタライスケヨリヒメといいます。(これは名にホト(陰部)という言葉があるのを嫌って後から改めた名です。)こういった次第で彼女を神の御子というのです。」

 ここに七媛女(ななをとめ)、高佐士野(たかさじの)に遊べるに、伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)その中にありき。ここに大久米の命、その伊須氣余理比賣を見て、歌もちて天皇にまをさく、

ある時、高佐士野(香具山の付近、参考1の注4)に遊ぶ七人の乙女のなかに(ヒメタタラ)イスケヨリヒメがいた。大久米の命はそのイスケヨリヒメを見て、歌で天皇に申し上げるには、

倭(やまと)の 高佐士野(たかさじの)を
七(なな)行く 媛女(をとめ)ども、
誰をしまかむ。  (歌謠番號一六)

ヤマトのタカサジノを行く

七人の乙女たち

そのうちの誰をお召しになりますか

 ここに伊須氣余理比賣は、その媛女どもの前に立てり。すなはち天皇、その媛女どもを見て、御心に伊須氣余理比賣の最前(いやさき)に立てることを知らして、歌もちて答へたまひしく、

そのときイスケヨリヒメは乙女たちの先頭に立っていた。天皇はその乙女たちをみて、先頭にイスケヨリヒメが立っていることに気づいて、歌をもってお答えなさるには、

かつがつも いや先立てる 愛(え)をしまかむ。  (歌謠番號一七)

先に立つ花が(他の花よりも)やや綺麗なようだ、それを摘もうかな

 ここに大久米の命、天皇の命を、その伊須氣余理比賣に詔(の)る時に、その大久米の命の黥(さ)ける利目(とめ)を見て、奇(あや)しと思ひて、歌ひたまひしく、

さて大久米の命は天皇の御言葉をイスケヨリヒメに伝えに赴いたときに、イスケヨリヒメは大久米の命の目尻の入れ墨(目を鋭くみせるための久米(武人)の習慣)を見て不思議に思い、歌をよんだ、

天地(あめつち) ちどりましとと など黥(さ)ける利目(とめ)。  (歌謠番號一八)

アメドリ、ツツドリ、チドリ、マシトドのように裂けた目ですこと

(コメント) マシトド - goo 辞書 鳥の種類

 ここに大久米の命、答へ歌ひて曰ひしく、

大久米の命はそれに歌で答えて、

媛女(をとめ)に 直(ただ)に逢はむと 吾(わ)が黥ける利目(とめ)。  (歌謠番號一九)

そなた様のところにすぐに飛んでいけるように鳥の目になっているのです

 かれその孃子(をとめ)、「仕へまつらむ」とまをしき。ここにその伊須氣余理比賣の命の家は、狹井(さゐ)河の上にあり。天皇、その伊須氣余理比賣のもとに幸(い)でまして、一夜御寢(みね)したまひき。(その河を佐韋河といふ由は、その河の邊に、山百合草多くあり。かれその山百合草の名を取りて、佐韋河と名づく。山百合草の本の名佐韋といひき。)

するとイスケヨリヒメは「お仕え申しあげましょう」と申し上げた。そのイスケヨリヒメの命の家はサイ河のほとりにあり、天皇はその家にお通いになりイスケヨリヒメのもとで一晩をお過しになった。(その河をサイ河というのは、川辺に山百合が多く生えていたことによる。昔は山百合のことをサイといったのである。)

 後にその伊須氣余理比賣、宮内(おほみやぬち)にまゐりし時に、天皇、御歌よみしたまひしく、

後にイスケヨリヒメが宮内にお入りになったときに、天皇は御製(みつくり)をなさって

葦原(あしはら)の しけしき小屋(をや)に
菅疊(すがたたみ) いや清(さや)敷きて、
わが二人寢し。  (歌謠番號二〇)

片田舎の粗末な小屋に

菅畳を清らかに敷いて

二人で寝たものよ

 然して生(あ)れませる御子の名は、日子八井(ひこやゐ)の命、次に神八井耳(かむやゐみみ)の命、次に神沼河耳(かむぬなかはみみ)の命三柱。

そして生まれた御子の名はヒコヤヰの命、次にカムヤヰミミの命、次にカムヌナカハミミの命の三柱である。

(コメント) カムヌナカハミミの命は第二代綏靖天皇。