参考1: 校註 古事記 - 青空文庫
参考2: 現代語譯 古事記 - 青空文庫

断りのない引用は参考1からのものです。


古くから瀬戸内海のおかげで九州と近畿の海運は非常に便利であったのは間違いないところです。前回は福岡、広島を経て岡山まで来ています。

 かれその國より上り幸でます時に、龜(亀の旧字体)の甲(せ)に乘りて、釣しつつ打ち羽振り來る人、速吸(はやすひ)の門(と)に遇ひき。ここに喚びよせて、問ひたまはく、「汝(いまし)は誰ぞ」と問はしければ、答へて曰はく、「僕(あ)は國つ神なり」とまをしき。また問ひたまはく「汝は海(うみ)つ道(ぢ)を知れりや」と問はしければ、答へて曰はく、「能く知れり」とまをしき。また問ひたまはく「從(みとも)に仕へまつらむや」と問はしければ、答へて曰はく「仕へまつらむ」とまをしき。かれここに槁(さを)を指し度(わた)して、その御船に引き入れて、槁根津日子(さをねつひこ)といふ名を賜ひき。(こは倭の國の造(くにのみやつこ)等が祖なり。)

その国より瀬戸内をのぼっていくと、速吸の門(注1)で亀の甲に乗って釣りをしながら袖を打ち振り来る人に出会った。その者を呼びよせて「そなたは何者か?」と問うと「私は国津神であります」と答えた。「そなたは海の道を知っているか?」と再び問うと「よく知っています」と答えた。さらに「わたしに仕えないか」と問えば「お仕え申しあげましょう」と言うので、御船に引き入れて水先案内をさせサヲネツヒコという名を与えた。この者がヤマトの国のミヤツコ等の祖である。

(注1) 参考1の注に、速吸の門を豊後水道であるとする解説がありますが少々疑問です。速吸門 - Wikipediaによると、

  1. 豊予海峡の古称(『日本書紀』)

  2. 吉備国の児島湾口の古称(『古事記』)。古くは早水の戸と呼ばれ、潮流が速く阿波の鳴戸にも劣らないほどとされた 。[1]現在は、児島が児島半島になったことや、児島湾締切堤防などにより、潮流は緩やかになっている。

  3. 明石海峡の古称(『古事記』)。

とあり話の流れからすれば2か3だろうと思う。あるいは漠然と「潮流の速い所」という意味なら瀬戸内海なら該当する場所はたくさんありそうです。