参考1: 校註 古事記 - 青空文庫
参考2: 現代語譯 古事記 - 青空文庫
参考3: ねずさんと語る古事記 壱 (青林堂ビジュアル)

断りのない引用は参考1からのものです。


伊邪那岐の大神が黄泉津国から帰ってきて穢れを祓う場面。

伊邪那岐は竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐(あはぎ)原にて禊を行う。この場所については諸説ある。

 ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きたな)き國に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐(あはぎ)原に到りまして、禊(みそぎ)祓(はら)へたまひき。かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、衝(つ)き立つ船戸(ふなど)の神。次に投げ棄つる御帶(おび)に成りませる神の名は、道(みち)の長乳齒(ながちは)の神。次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときはかし)の神。次に投げ棄つる御衣(けし)に成りませる神の名は、煩累(わづらひ)の大人(うし)の神。次に投げ棄つる御褌(はかま)に成りませる神の名は、道俣(ちまた)の神。次に投げ棄つる御冠(みかがふり)に成りませる神の名は、飽咋(あきぐひ)の大人(うし)の神。次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奧疎(おきざかる)の神。次に奧津那藝佐毘古(おきつなぎさびこ)の神。次に奧津甲斐辨羅(かひべら)の神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、邊疎(へざかる)の神。次に邊津那藝佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に邊津甲斐辨羅(へつかひべら)の神。

右の件(くだり)、船戸(ふなど)の神より下、邊津甲斐辨羅の神より前、十二神(とをまりふたはしら)は、身に著つけたる物を脱ぎうてたまひしに因りて、生(な)りませる神なり。

伊邪那岐の脱ぎ捨てたものから生まれた神々。十二柱。

着衣
衝立船戸(つきたつふなど)の神
道之長乳齒(みちのながちは)の神
嚢(ふくろ) 時量師(ときはかし)の神
煩累(わづらひ)の大人(うし)の神(注1)
褌(はかま) 道俣(ちまた)の神
飽咋(あきぐひ)の大人(うし)の神(注2)
左の手纏(たまき) 奧疎(おきざかる)の神
奧津那藝佐毘古(おきつなぎさびこ)の神
奧津甲斐辨羅(おきつかひべら)の神
右の手纏(たまき) 邊疎(へざかる)の神
邊津那藝佐毘古(へつなぎさびこ)の神
邊津甲斐辨羅(へつかひべら)の神

注1 参考3によると和豆良比能宇斯能(わづらひのうしの)神で大和言葉の音として読むという(古事記原文の)注がある。「うし」は名詞なら「主人」であろうという。参考1では「大人」となっているが似たような意味だろうか。

注2 参考3によると原文では飽咋之宇斯能(あきぐひのうしの)神で「うし」については注1と同様

 ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔(の)りたまひて、初めて中(なか)つ瀬に降り潛(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日(やそまがつび)の神。次に大禍津日(おほまがつひ)の神。この二神(ふたはしら)は、かの穢き繁(し)き國に到りたまひし時の、汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。次にその禍(まが)を直さむとして成りませる神の名は、神直毘(かむなほび)の神。次に大直毘(おほなほび)の神。次に伊豆能賣(いづのめ)の神。次に水底(みなそこ)に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に底筒(そこづつ)の男(を)の命。中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見(なかつわたつみ)の神。次に中筒(なかづつ)の男(を)の命。水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見(うはつわたつみ)の神。次に上筒(うはづつ)の男(を)の命。この三柱の綿津見の神は、阿曇(あづみ)の連(むらじ)等が祖神(おやがみ)と齋(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志日金拆(うつしひがなさく)の命の子孫(のち)なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨の江(すみのえ)の三前の大神なり。

(注)参考1では伊豆能賣の神の「の神」が抜けて単に「伊豆能賣」になっているが、参考3の古事記原文には「神」と書いてあるので修正しておいた。

伊邪那岐の大神が川(或いは海かもしれない)で禊をする場面。「上の瀬は流れが速い、下の瀬は流れが弱い」と言って中の瀬に入って穢れを滌ぐ。このとき十一柱の神々が生まれる。

瀬に入ってすぐに生まれた五柱

  • 八十禍津日(やそまがつび)の神
  • 大禍津日(おほまがつひ)の神
  • 神直毘(かむなほび)の神
  • 大直毘(おほなほび)の神
  • 伊豆能賣(いづのめ)の神

水に潜って生まれた神

瀬の層
底層 底津綿津見(そこつわたつみ)の神
底筒(そこづつ)の男(を)の命
中層 中津綿津見(なかつわたつみ)の神
中筒(なかづつ)の男(を)の命
上層 上津綿津見(うはつわたつみ)の神
上筒(うはづつ)の男(を)の命

津綿津見の神は海の神様である。阿曇氏の氏神とあるが、安曇氏は古代日本を代表する海人族として知られる有力氏族とのことである。

底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命は住吉大社に祀られ「住吉さん」として親しまれている。神功皇后に神託を下した神様であるがそれは後の話。

 ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照(あまてらす)大御神(おほみかみ)。次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月讀(つくよみの)命。次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐男(たけはやすさのを)の命。

右の件、八十禍津日(やそまがつび)の神より下、速須佐男(はやすさのを)の命より前、十柱の神は、御身を滌ぎたまひしに因りて生(あ)れませる神なり。

三貴神の登場。天照大御神、月讀命、建速須佐男命はそれぞれ伊邪那岐の大神が左目、右目、鼻を洗ったときに生まれた。

八十禍津日(やそまがつび)の神から須佐男の命まであわせて十柱とあるが数が合わない(十四柱)。津綿津三神と住吉三神を各々一柱の神と考えて三貴神を足せば十柱になるが、参考3には別の解釈があるので引用しておく。

参考3より

滌ぎから成られた十一柱の神々には、「神」と書かれている神様と、「命」と書かれている神様、そのどちらも書かれていない神様がおいでになります。このうち、末尾に「神」と書かれている神様だけを数えると七柱です。

その七柱の神々に、三貴神を加えると十柱です。ところが天照大御神、月読命、須佐男命の三貴神のうち、月読命と須佐男命は、どちらも「命」と書かれています。「命と書かれているけれど、三貴神はいずれも神様なのだ」ということを、古事記はここで強調しているわけです。

ところが参考1の注には別解釈がある。

實數十四神。イヅノメと海神の一組三神とを除けば十神になる。

海神というのはワダツミの神と思うが何故除くのか不明である。イズノメの神を除くというのもわからない。

解釈の真偽はつけようがないので先に進むことにする。

 この時伊耶那岐の命大(いた)く歡ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三柱の貴子(うづみこ)を得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉の緒ももゆらに取りゆらかして、天照大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝が命は高天原を知らせ」と、言依(ことよ)さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板擧(みくらたな)の神といふ。次に月讀の命に詔りたまはく、「汝が命は夜の食(をす)國を知らせ」と、言依さしたまひき。次に建速須佐男(たけはやすさのを)の命に詔りたまはく、「汝が命は海原を知らせ」と、言依さしたまひき。

最後に貴い神を三柱得たので伊邪那岐は大いに喜んだ。特に天照大御神には「御頸珠(みくびたま)の玉の緒ももゆらに取りゆらかして、天照大御神に賜ひて」とある。この解釈は参考3に詳しいので引用する。

参考3より

伊邪那岐大神は、首に付けた自らの大神としての魂を繋ぐ玉の緒を首から外されると、御顔の前で音をたてながらその大神としての力をその玉の緒に込め、これを天照大御神に賜われた

重要なキーワード「知らせ」

天照大御神には「高天原を知らせ」、月読命には「夜の食(をす)國を知らせ」、建速須佐男命には「海原を知らせ」とある。

参考3では「知る」ということは、もともとは神々の知恵を得るということで「神々と繋がること」を意味するとある。

自分は「君民共治」という意味で理解していたが、統治(政治)は祀事(まつりごと)であるということも意味するようである。

なお「知らす」に対立するキーワードに「ウシハク」というのがある。これは後に出てくる。

 かれおのもおのもよさし賜へる命のまにまに知らしめす中に、速須佐の男の命、依さしたまへる國を知らさずて、八拳須(やつかひげ)心前(むなさき)に至るまで、啼きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし河海(うみかは)は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。ここを以ちて惡(あら)ぶる神の音なひ、狹蠅(さばへ)なす皆滿(み)ち、萬の物の妖(わざはひ)悉に發(おこ)りき。かれ伊耶那岐の大御神、速須佐の男の命に詔りたまはく、「何とかも汝(いまし)は言依させる國を治(し)らさずて、哭きいさちる」とのりたまへば、答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の國根(ね)の堅洲(かたす)國に罷らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の大御神、大(いた)く忿らして詔りたまはく、「然らば汝はこの國にはな住とどまりそ」と詔りたまひて、すなはち神逐(かむやら)ひに逐(やら)ひたまひき。かれその伊耶那岐の大神は、淡路の多賀(たが)にまします。

海原を知らせと命じられた須佐之男命は国(世界と考えるべきかもしれない)を治めず泣いてばかりいた。そのために諸々の災いが起こるようになった。伊邪那岐の大御神は須佐之男命に「なぜ国を治めないで泣いてばかりいるのか」と問うた。須佐之男命は「母のいる根の堅洲國に行きたくて泣いているのです」という。怒った伊邪那岐の大神は須佐之男命を追放してしまった。

伊邪那岐大神は淡路の多賀の伊邪那岐神宮に祀られている。