今回は番外編ですが、フツの御魂とヤタガラスが直接関係するわけではないのでタイトルは良くなかったかも知れません。

前回にメモとして挿入すべきものを記事が長くなるので今回にまわしたのでした。


神武天皇が熊野で困難に陥ったときに授けられた神剣がフツの御魂。古事記においてはタケミカヅチの神が国譲りのときに用いた剣とされるが、日本書紀では国譲りの主将はフツヌシの神でタケミカヅチの神は副将である。

それでフツヌシとフツの御魂の関係はどうなっているのか気になったのですが、諸説あるようで

経津主神 - Wikipediaより

経津主神は武甕槌神と関係が深いとされ、両神は対で扱われることが多い。有名な例としては、経津主神を祀る香取神宮と、武甕槌神を祀る鹿島神宮とが、利根川を挟んで相対するように位置することがあげられる。また、春日大社では経津主神が建御雷神らとともに祀られている。これは香取神宮・鹿島神宮のある常総地方が中臣氏(藤原氏)の本拠地だったため、両社の祭神を勧請したものである。また、鹽竈神社でも経津主神・建御雷神がシオツチノオジとともに祀られている。

経津主神の正体や神話の中で果たした役割については諸説がある。神名の「フツ」は刀剣で物が断ち切られる様を表し、刀剣の威力を神格化した神とする説のほか、「フツ」は「フツフツ」と沸き上がり「フルイ起す」フツであるとする説や[7]。神武東征で武甕槌神が神武天皇に与えた布都御魂(ふつのみたま)[8]の剣を神格化したとする説がある。なお、『先代旧事本紀』では経津主神の神魂の刀が布都御魂であるとしている。『古事記』では、建御雷之男神の別名が建布都神(たけふつのかみ)または豊布都神(とよふつのかみ)であるとし、建御雷之男神が中心となって葦原中国平定を行うなど、建御雷之男神と経津主神が同じ神であるかのように記載している。

布都御魂を祀る石上神宮が物部氏の武器庫だったとされることから、経津主神も本来は物部氏の祭神だったが、後に擡頭する中臣氏の祭神である建御雷神にその神格が奪われたと考えられている。

自分としてはフツヌシは剣に宿った霊というイメージを持っていたのですが、そもそもフツヌシのほうが主役で中臣氏(のちの藤原氏)の政治的な思惑でタケミカヅチがフツヌシの神格を上書きするようになったという説は興味深いと思いました。しかし、もしそうなら何故フツヌシの神格を消し去らなかったのかという疑問も同時に生じるので答えはわかりません。

藤原氏は平安時代の権力者ですが、結局のところ日本の主人とは成り得なかったしその後の武家政権でも同様です。そういうところが日本の秘密(?)というか興味深いところだとは言えるでしょう。

次にヤタガラスについてですが、サッカー日本代表のエンブレムになっているとか熊野との関係が深いということは良く知られているところです。例によってWikipediaから気になったところをいくつか引用しておきましょう。

八咫烏 - Wikipediaより

  • 熊野三山においてカラスはミサキ神(死霊が鎮められたもの。神使)とされており、八咫烏は熊野大神(素戔嗚尊)に仕える存在として信仰されており[2]、熊野のシンボルともされる[4]。近世以前によく起請文として使われていた熊野の牛玉宝印(ごおうほういん)にはカラスが描かれている[3]。

  • 三足烏の伝承は古代中国の文化圏地域で見られる。朝鮮半島ならば、かつて高句麗があった地域(現在の北朝鮮)で古墳に描かれている。一方、朝鮮半島南部(現在の韓国)にまでは広がっていなかった[4]。

  • 八咫烏の記録は『古事記』『日本書紀』『延喜式』のほか、キトラ塚古墳の壁画や珍敷塚古墳(福岡県)の横穴石室壁画、千葉県木更津市の高部三〇号噴出土鏡、玉虫厨子(法隆寺)の台座などにみられる[2]。

  • 天武天皇が熊野に通って蹴鞠をよくしたことにちなみ、よくボールをゴールに導くようにとの願いが込められているともいう[2]。なお、蹴鞠の名人とされる藤原成通は、五十回以上も熊野詣でをして蹴鞠上達を祈願し、熊野大神に「うしろまり」を披露して奉納したとされ[2]、現在でも、日本サッカー協会はワールドカップ等の出場前に熊野三山で必勝祈願を行っている[4]

その他にも小惑星の名前にも命名されているそうですが、朝廷のために働く忍者(?)的なイメージがあったり想像力を掻き立てる存在であります。