参考1: 校註 古事記 - 青空文庫
参考2: 現代語譯 古事記 - 青空文庫

これまで参考にしてきたねずさんの本は第3巻のkindle版がまだ出ていません。そのうちに出版されると思いますがぼちぼち進めていきます。

断りのない引用は参考1からのものです。


今回は長いので要約とメモの形にします。

 天照らす大御神の命もちて、「豐葦原(とよあしはら)の千秋(ちあき)の長五百秋(ながいほあき)の水穗(みづほ)の國は、我が御子正勝吾勝勝速日(まさかあかつかちはやひ)天の忍穗耳(おしほみみ)の命の知らさむ國」と、言依(ことよ)さしたまひて、天降(あまくだ)したまひき。ここに天の忍穗耳の命、天の浮橋に立たして詔りたまひしく、「豐葦原の千秋の長五百秋の水穗の國は、いたくさやぎてありなり」と告(の)りたまひて、更に還り上りて、天照らす大御神にまをしたまひき。ここに高御産巣日(たかみむすび)の神、天照らす大御神の命もちて、天の安の河の河原に八百萬の神を神集(かむつど)へに集へて、思金の神に思はしめて詔りたまひしく、「この葦原の中つ國は、我が御子の知らさむ國と、言依さしたまへる國なり。かれこの國にちはやぶる荒ぶる國つ神どもの多(さは)なると思ほすは、いづれの神を使はしてか言趣(ことむ)けなむ」とのりたまひき。ここに思金の神また八百萬の神等たち議りて白さく、「天の菩比(ほひ)の神、これ遣はすべし」とまをしき。かれ天の菩比の神を遣はししかば、大國主の神に媚びつきて、三年に至るまで復奏(かへりごと)まをさざりき。

天照大御神は「豐葦原水穗の國は我が子のアメノオシホミミの命が治めるべき国である」としてアメノオシホミミの命を下界に遣わすことになった。そこでアメノオシホミミの命が天の浮橋で下界を覗いてみると大変騒がしいので戻って天照大御神に報告した。タカミムスビの神、天照大御神の命によって、天の安の河の河原に八百万の神々を集めて、(知恵者である)オモヒカネの神に(知恵を出させるべく)仰るには、「葦原の中つ國(日本)は、自分の子が治めるべき国と定めた国である。暴威を振う乱暴な土地の神が多いので、どの神を遣わして(あくまでも言葉によって)言うことをきかせようか?」と問われた。そこでオモヒカネの神と八百万の神々が相談してアメノホヒの神がいいでしょうということになった。それでアメノホヒの神を遣わしたところ大国主の神に篭絡されて、三年経っても連絡もないという有様であった。

(メモ)

  • 日本は「豐葦原の千秋の長五百秋の水穗の國」、「豐葦原水穗の國」、「葦原の中つ國」、などの様々な呼称がある。日本書紀では、豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)という。

  • 「いづれの神を使はしてか言趣(ことむ)けなむ」とある。あくまでも話し合い、説得による解決を目指す。

 ここを以ちて高御産巣日の神、天照らす大御神、また諸の神たちに問ひたまはく、「葦原の中つ國に遣はせる天の菩比の神、久しく復奏(かへりごと)まをさず、またいづれの神を使はしてば吉(え)けむ」と告りたまひき。ここに思金の神答へて白さく、「天津國(あまつくにだま)玉の神の子天若日子(あめわかひこ)を遣はすべし」とまをしき。かれここに天(あめ)の麻迦古弓(まかこゆみ)天の波波矢(ははや)を天若日子に賜ひて遣はしき。ここに天若日子、その國に降り到りて、すなはち大國主の神の女下照(したて)る比賣(ひめ)に娶(あ)ひ、またその國を獲むと慮(おも)ひて、八年に至るまで復奏(かへりごと)まをさざりき。

そこでタカミムスビの神と天照大御神は、「今度はどの神を遣わそうか」と神々に問うたところ、オモヒカネの神は「アメワカヒコが良いでしょう」と答えた。そこで神威の宿った弓矢をアメワカヒコに渡して下界に遣わした。アメワカヒコは大国主の娘のシタテル姫を妻に娶り、その国を獲ようと思い、八年も高天原に返事をしなかった。

(メモ)

アメワカヒコは大国主の娘と結婚して、目的を果すべく国を乗っとるつもりだったのか、それとも単に堕落してしまったのだろうか。この後わかります。

 かれここに天照らす大御神、高御産巣日の神、また諸の神たちに問ひたまはく、「天若日子久しく復奏(かへりごと)まをさず、またいづれの神を遣はして、天若日子が久しく留まれる所由(よし)を問はむ」とのりたまひき。ここに諸の神たちまた思金の神答へて白さく、「雉子名鳴女(きぎしななきめ)を遣はさむ」とまをす時に、詔りたまはく、「汝(いまし)行きて天若日子に問はむ状は、汝を葦原の中つ國に遣はせる所以(ゆゑ)は、その國の荒ぶる神たちを言趣(ことむ)け平(やは)せとなり。何ぞ八年になるまで、復奏まをさざると問へ」とのりたまひき。

それで天照大御神、タカミムスビの神は「アメワカヒコが長いこと復命してこないのを、どの神を遣わして詰問しようか」と神々に問うた。すると神々とオモヒカネの神が「キジの鳴女を遣しましょう」と答えたので、キジに対して「アメワカヒコを葦原の中つ国に遣わした理由は、その国の荒ぶる神々を説得して従わせることにある。八年も復命しないとはどういうことか問え。」と仰った。

 かれここに鳴女、天より降り到りて、天若日子が門なる湯津桂(ゆつかつら)の上に居て、委曲(まつぶさ)に天つ神の詔命(おほみこと)のごと言ひき。ここに天(あめ)の佐具賣(さぐめ)、この鳥の言ふことを聞きて、天若日子に語りて、「この鳥はその鳴く音(こゑ)いと惡し。かれみづから射たまへ」といひ進めければ、天若日子、天つ神の賜へる天の波士弓(はじゆみ)天の加久矢(かくや)をもちて、その雉子(きぎし)を射殺しつ。ここにその矢雉子の胸より通りて逆(さかさま)に射上げて、天の安の河の河原にまします天照らす大御神高木(たかぎ)の神の御所(みもと)に逮(いた)りき。この高木の神は、高御産巣日の神の別(また)の名(みな)なり。かれ高木の神、その矢を取らして見そなはせば、その矢の羽に血著きたり。ここに高木の神告りたまはく、「この矢は天若日子に賜へる矢ぞ」と告りたまひて、諸の神たちに示(み)せて詔りたまはく、「もし天若日子、命(みこと)を誤(たが)へず、惡(あら)ぶる神を射つる矢の到れるならば、天若日子にな中(あた)りそ。もし邪き心あらば、天若日子この矢にまがれ」とのりたまひて、その矢を取らして、その矢の穴より衝き返し下したまひしかば、天若日子が、朝床に寢たる高胸坂(たかむなさか)に中りて死にき。(こは還矢の本なり。)またその雉子(きぎし)還らず。かれ今に諺に雉子の頓使(ひたづかひ)といふ本これなり。

キジは天から下ってアメワカヒコの家の門の上で、先に教えられた通りに言った。すると天の探女という女がそれを聞いて「この鳥はの声はひどく不吉ですから、射ち殺してしまいなさい」と勧めたので、アメワカヒコは(自分が天から下るときに賜わった)弓矢でそのキジを殺してしまった。その矢はそのまま天まで昇っていき、天の安の河の河原にまで届いた。そこには天照大御神と高木の神(タカミムスビの神の別名)がいて、高木の神がその矢を見ると血がついてた。「これはアメワカヒコに与えた矢ではないか!」ということで神々にそれを示して、「もしアメワカヒコが下界の荒ぶる神を射ってここに届いたものなら、アメワカヒコには当るな。もし邪な心があるならアメワカヒコに当れ」と言ってその矢を下界に射ち返したところ、アメワカヒコの胸に命中して死んでしまった。(これは還矢の語源になった。)またキジが帰ってこなかったので、今でもことわざに「行ったきりのキジのお使い」という。

(メモ)

  • 還矢 - 「返し矢恐るべし」

  • 雉子の頓使(行ったきりのキジのお使い) - 類似の言葉に「鉄砲玉の使い」というのがある

 かれ天若日子が妻(め)下照(したて)る比賣(ひめ)の哭(な)く聲(こえ)、風のむた響きて天に到りき。ここに天なる天若日子が父天津國玉(あまつくにたま)の神、またその妻子(めこ)ども聞きて、降り來て哭き悲みて、其處に喪屋(もや)を作りて、河鴈(かわがん)を岐佐理持(きさりもち)とし、鷺(さぎ)を掃持(ははきもち)とし、翠鳥(そにどり)を御食人(みけびと)とし、雀を碓女(うすめ)とし、雉子を哭女(なきめ)とし、かく行ひ定めて、日八日(やか)夜八夜(やよ)を遊びたりき。

アメワカヒコの妻のシタテルヒメが悲しんで哭く声が天に届いて、アメワカヒコの父の天津國玉(あまつくにたま)の神と(アメワカヒコの)もとの妻子が聞いて降りてきて哭き悲しんで、喪屋をつくり、八日八夜にわたって舞楽を捧げて霊を慰めた。

 この時阿遲志貴高日子根(あぢしきたかひこね)の神到(き)まして、天若日子が喪(も)を弔ひたまふ時に、天より降(お)り到れる天若日子が父、またその妻みな哭きて、「我が子は死なずてありけり」「我が君は死なずてましけり」といひて、手足に取り懸かりて、哭き悲みき。その過(あやま)てる所以(ゆゑ)は、この二柱の神の容姿(かたち)いと能く似(の)れり。かれここを以ちて過てるなり。ここに阿遲志貴高日子根の神、いたく怒りていはく、「我は愛(うるは)しき友なれこそ弔ひ來つらくのみ。何ぞは吾を、穢き死人(しにひと)に比(そ)ふる」といひて、御佩(みはかし)の十掬(とつか)の劒を拔きて、その喪屋(もや)を切り伏せ、足もちて蹶(く)ゑ離ち遣りき。こは美濃の國の藍見(あゐみ)河の河上なる喪山(もやま)といふ山なり。その持ちて切れる大刀の名は大量(おほばかり)といふ。またの名は神度(かむど)の劒といふ。かれ阿治志貴高日子根の神は、忿(いか)りて飛び去りたまふ時に、その同母妹(いろも)高比賣(たかひめ)の命、その御名を顯さむと思ほして歌ひたまひしく、

この時(アメワカヒコと瓜二つの)アジシキタカヒコネの神(シタテルヒメの兄)が来て、アメワカヒコの喪を弔ったときに、アメワカヒコの父も元の妻もそれぞれ「我が子は死んでいなかった」、「夫は死んでいなかった」と言ってアジシキタカヒコネの神の手足にまとわりついて哭き悲しんだ。これにアジシキタカヒコネの神はたいそう怒って「我は仲が良かったから弔いに来たのだ。それを穢い死人と間違えるとは!」と言って、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばして去っていった。そのとき高姫(シタテルヒメの別名)は兄のアジシキタカヒコネの神の名をあらわそうとして次のように歌を詠んだ

天なるや 弟棚機(おとたなばた)の

うながせる 玉の御統(みすまる)、

御統に あな玉はや。

み谷(たに) 二(ふた)わたらす

阿遲志貴高日子根(あぢしきたかひこね)の神ぞ。

天にまします機織り姫の

首にかけたる珠かざり

その珠かざりを

谷に掛け渡したように光り輝く

アジシキタカヒコネの神

この歌は夷振(ひなぶり)なり。

この歌は夷振(ひなぶり)という。

(メモ)

  • 端折った所が多いのでWikipediaのシタテルヒメアヂスキタカヒコネ神度剣などを参照していただきたい。

  • 「何ぞは吾を、穢き死人(しにひと)に比(そ)ふる」 - 「死は穢れ」であるというは神道の考え方。神社にはお墓はないです。神道の葬式について調べてみるといいかも知れません。

  • 和歌によるとアジシキタカヒコネの神は何かの星座に対応しているような気もします。